「好きな相手をあきらめてイヤイヤ結婚したのよ」。冒頭から貧しさ故に人生の選択が限られた女性、ビンアイの本音が語られる。ビンアイは長江のほとりで病 弱な夫、息子、娘と暮らす中国農村の一般的な女性。一方天津生まれのフォン・イェン監督は、京都大学に留学して農業経済学の博士課程を終えた才媛である。 二人の間に築かれた信頼関係が、このドキュメンタリーに確固たる安心感を与えている。それもそのはず、フォン監督は10余年にわたり彼女を、そして山峡ダ ム建設で沈む地域を撮り続けている。
95年に初めて会った時のビンアイは、「カメラなんか置いて畑仕事を手伝って」と監督に協力的ではなかったらしい。筆者自身も下手なドキュメンタリーを 撮ってきたけれど、挫折の連続です。それは対象に恵まれるか、またその相性によるところもありますが、ドキュメンタリー作家の資質として不可欠なのは何よ り継続する力、すなわち強い意志でしょう。でも押し付けるのではなく、気持ちは対象者に寄り添う。以前インタビューをしたあるドキュメンタリー監督は、 「私は対象者の懐に入っていく資質に恵まれたと思う」と言っていました。フォン監督の作品からは、執着心としなやかさが見て取れます。
「庶民をバカにするな!」映画を見ていてそんな怒りがこみ上げて来た。次元は全く違うけれど、私は最近企業の一方的な方針転換によって理不尽な不都合を 被った。こちらはそれを受け入れる以外選択はない。2009年に完成予定の山峡ダムは、中国にとってオリンピック開催と並ぶ百年来の夢。300億ドルをか けた国家プロジェクトの陰で、140万人もの住まいと田畑が水没するという。地上げや立ち退きとは質は違うようで、国家の決定を実施するのが商売人ではな く共産党の末端にいる小役人であるからなおタチが悪い。国家目標と威信のためには個人の生活や健康の確保は二の次とされている実態が浮き彫りになる。
この作品では戸籍や子供の制限といった農村の事情も語られます。92年にダム建設が決まって以来、すでに水没する決定が下された地域への国からの投資は削 減され、山峡地域は貧しくなる一方。そんな中で、多くの人は保証金を受け取り、都市へ移住すれば暮らしが豊かになると思っていた。ビンアイはそう安易には 考えず、嫁いでから馴染むまで時間のかかった土地に根を下ろしている。監督はそんなビンアイを「特殊な存在」で、流されたくないという姿勢に、「そういう 人にあまり出会ったことがなかったら」彼女に惹かれ、「どういうふうに生まれて、何を今まで経験して、どうやってこの決定をしたのかということを知りた かった」と語っています。
役人は、ビンアイ家族に移住しないと戸籍を抹消し、子供を学校に行かせなくすると迫る。子供に教育を受けさせ、自分たちよりいい暮らしをさせる、それは中 国の親の悲願です。それを知っていて脅しをかけるとは。でもビンアイは屈しない。「生き残って死に様を見てやる。意地でも生き残ってやる。」一見穏やかな ようで、ビンアイにはどれだけ鋼のような意思があるのか。そもそも彼女を鍛え上げたのは、他ならぬ国の政策であろう。政府の個人生活への介入は凄まじい。 国を挙げた人口調整のため、子供の数に制限があることは周知の事実だが、堕胎を強いられた話は胎児、そして母親の命がいかに軽んじられているかを物語る。 しかしこの映画の目的は告発ではない。監督は、ひとつの事件を追っているだけの作品にはしたくなかったと言う。「記録者気取りになりたくなかったのです。 農民と幹部とのやり取りというのは日常茶飯事です。だからその幹部と農民の衝突がおこっているからどうのこうのと私は言いたいのではない。この作品ではビ ンアイという人物を見てほしいのです。」
中国が経済政策をより自由化する前もした後も、農村の貧しさは変わらない。先進国と肩を並べんとする共産党、面子を考えるならまずは根本的な農村と都市部の格差是正、そして結局は人権と個人の自由を尊重するということに繋がっている。
願わくばフォン監督には農業経済学の研究者としての背景も活かし、中国で提言が出来る立場になってもらえればと思う。それにはまずこのドキュメンタリーが 広く多くの場所で上映されることでしょう。長いものに巻かれることなく、国にもの申せる文化人が増えれば中国も変わるかもしれない。
私は先行上映会でこの作品を見ましたが、帰りがけにみかんが配られました。ビンアイ夫妻がみかん栽培をしているのにかけた、洒落たおみやげです。でも彼女 たちには品種改良をしてこんなに大きくてきれいなみかんを作ることは出来ないのだろうなと、ちょっと切なくなったのでした。
ビンアイは言う。「自分が死んだ後、こう言われたい -あの人は骨身を惜しまず、よく夫や子供の面倒を見たね- 最高の褒め言葉よ」。彼女はまだ生きているけど、彼女の生き様は十分その褒め言葉に値する。ビンアイのような人が、中国を少しずつでも風通しのよい住みや すい国にしていくのでしょう。彼女の子供たちには、両親の体を張って生きる姿を見て力強く人生を切り開いて行って欲しい。


















私が初めて京劇をじかに見たのは、シンガポールに住んでいた高校生の時でした。公共団地の路地に簡易の舞台が作られ、無料で誰でも見られるものでした。かつてシンガポールは東南アジア京劇の中心地で劇団も多数ありましたが、今では劇団も団員も減り、街で偶然でくわすことはまれ。若い世代の京劇離れの要因のひとつは、京劇が方言で演じられるため、方言教育が禁止され、北京語しか介さない世代には意味が分からないのだ。(昨年8月号の『歌え!パパイヤ』の紹介も参考にご覧下さい。)
しかし北京でも劇場に行くといるのは観光客ばかり。その派手な色使いとけたたましさは、若者にとってはおしゃれな娯楽とは対極にあるものかもしれない。中国の人々に取ってこの偉大なアーティストの映画はどう受け取られるのだろうか。
監督も常に引き合いにだされることは予想したはずであろう『さらば、わが愛覇王別姫』(93年)、でもこちらはまったくのフィクションであり、実在した、そして資料も多く残っている人物を映画化するのは至難の技だったでしょう。そして梅蘭芳(メイ・ランファン)の家族がいることを考えると苦労が忍ばれます。そのあまりにドラマに富んだ人生に、どこまで本当だろうかと勘ぐりたくなる部分もありますが、クリエイティブ・スーパーバイザーを努めたのは梅蘭芳の息子で、今日の京劇界の重鎮であるメイ・パオチウ。彼はキャスティング、女形演技指導まで全面的にサポートをしたということだが、偉大な父、そして母の姿を映し出すのはどんな気持ちだったのだろうか。
自身も北京生まれのチェン・カイコー監督、67年の梅蘭芳の一生を描く伝記映画にするのではなく、一年をかけて「彼の人生でもっとも価値あると思われる時 期を選択」し、梅蘭芳のことを「自分のすべてを観客に捧げ、女装の男性、すなわち女形として、私生活では男性として、舞台では女性として、男と女の両性を 生きた芸術の大家だった」と評しています。梅を演じるレオン・ライ、歌手としてもつとに有名で、アンディ・ラウ、アンディ・チュン、アーロン・クオックと 共に香港四大天王の一人でもある彼は実は北京生まれ。しかしながら京劇シーンはすべてメイ・パオチウの吹替えだそうで、70歳を過ぎていながら見事な喉を 披露しています。
安藤政信演じる日本軍の田中隆一少佐に関しては、「梅は日本人の友人が少なからずおり、彼らは皆、梅のファンでした。しかし、日中戦争の勃発と同時に国益と個人の感情との間で選択を迫られ、絶望の境地に陥ることに」なった。田中もその典型的な人物として登場する。安藤さんには出演が決まって中国語の特訓を始めた07年の初夏に会いましたが、大役に戸惑いながらも素直に多くを吸収している様子でした。線が細過ぎる気もしますが、監督はあえて日本軍にも京劇を理解する感受性を持った人物がいたことを描いたのかもしれません。そして、「戦争と個人の情との間で内心を切り裂かれ」彼なりのやり方で戦争に抗議したという形で強いメッセージを発しています。
しかしながらカイコー監督は言う。「『梅蘭芳』は現代劇なので、あらゆる視覚的方面において現代的要素を盛り込み、今日の観客の要求を満足させるようにしました。映画全体のリズムも軽快なものにし、忙しない現代人の生活観に合わせています。」実際の尺ほど長さを感じさせないのも、CMを多く手掛けるチャオ・シャオシーを撮影監督に起用するといった工夫の成せる技かもしれません。
カイコー監督、『PROMISE プロミス』を経てまた元の手堅い路線に戻ってきた感もありますが、失敗を恐れず(?)また驚かして欲しい気もします。
このセピア色の写真は北京の梅蘭芳記念館で入場券として渡された絵はがきです。今は記念館となった四合院作りの家で梅蘭芳は晩年の10年を過ごしました。 梅蘭芳の遺族が62年に寄贈した多くの資料や写真が展示してあり、応接間、寝室や書斎の様子がそのままに保存されています。映画の中に出てくる、梅夫妻が 住んでいたかなり広さがありそうな四合院よりこじんまりしたものですが、梅蘭芳の生活の息づかいが感じられるお勧めの隠れスポットです。映画が公開された 今は観光スポットになっているかもしれません。文末に記載しました記念館ウェブサイトでは梅蘭芳の歌声も聴けます。
昨年11月号のフィルメックス紹介でも触れたユー・リクワイ監督長編第3作。タイトルは1作目『天上の恋歌』がジョイ・ディヴィジョン、2作目の『オー ル・トゥモローズ・パーティーズ』はベルベット・アンダーグラウンドの曲名から付けられたものでした。英語で言うプラスティックには作り物の、先進的で血 の通わないという意味もある。血湧き肉踊るサンパウロが舞台のこの映画になぜこのタイトルなのだろうか。以前香港で会ったことのあるユー監督は穏やかな印 象の人で、本作の気になるところをメールで質問すると、とても丁寧な答えを返してくれました。
この作品の原題には< 塑料城市=プラスティック・シティ >という直訳版もあるが、< 蕩寇 >の意図するところは。「中国語のタイトルは、?万春によって書かれた古典「?寇志」(1847年)から連想したもの。この作品の登場人物は多くが 「水滸伝」に基づいていながら、書かれた視点と話の運びは反動的で、「水滸伝」の中の英雄たちが正義のために戦う革命家なら、「?寇志」の登場人物は単な る無法者の悪党なんだ。映画の中でも主人公たちはある種の悪党だけど、僕にとって彼らはこの偽善の世界のヒーローなんだ。政府にしても日和見主義で、時に は彼らのビジネスをサポートしてきた。でも最後には彼らを裏切って潰しにかかる。このヒーローと悪党の矛盾した姿に惹かれるんだ。」
大学時代、友人が南米出身の日系人だと知り、驚いたことがある。もちろん南米育ち=陽気に歌って踊っているとは限らないが、彼女はどこかおっとりしてい て、日本語に全く遜色がなかった。彼女は日本語の方が話す機会が多く、家では天皇陛下の写真が飾ってあったという。時が止まったような、古き日本の生活を 営んでいたのかもしれない。
リベルダージは世界最大の日本人街であり、1949年の共産党革命以降は大陸からの中国人、香港返還以降は香港及びポルトガル語を話すマカオ人移民が増え た。また、台湾人、中華系インドネシア人移民も多く住む。南方系中国語の研究をするにはここが一番その形をとどめているところかもしれない。東南アジアで は大陸から近いため、現在の若い世代は母国語である方言より北京語が得意になってしまっているからだ。
昨今言語の固定観念に縛られない映画がトレンドにもなりつつあるし、移民の多い国では訛のある設定も自然だと思う。ただ本来ポルトガル語も中国語も幼い時 から話していたという設定故に、オダギリのつたない話し方が気になってしまう。これは役者が努力してどうなる問題ではないが、それによって彼の演技が制約 されているように感じてしまう。とは言え吹き替えという選択も悩ましいところ。キム・キドク、田荘荘といった名だたる監督作品に立て続けに参加し、このと ころアジアづいているオダギリ。キム監督の『悲夢』においてのオダギリは、韓国語の展開の中で日本語を話しながら話が成立するという設定らしい。





